Chaos Smart

「私は、私が無知であることを知っている」 複雑性、物事の根本に関わる深い叡智をえるブログ

御託を並べる前に謡え、動け、そして聞け。という世界。

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 古来より日本に残る、能、狂言、文楽、歌舞伎。

これら日本が誇る伝統芸能は、海外でも公演が行われ、世界中の人々が魅了される価値あるもの。過去の時代は、その時代の若者が熱狂したもの。

 

それらを観に行ったことがあるだろうか。きちんと、何であるか説明できるだろうか。観に行き、誰かに語らなければ、文化は継承されないし、存続させていくことができない。観に行けば、魅力にとりつかれてしまうかもしれない。

 

文化の存続という大きなことを誰かに勝手に求めたりしたいのではなく、

以前に書いた通り、

「体感」の大切さ。およびに、身体を清めること。

 

このエントリーにあることを、実行するひとつの解答です。

 

「感性と体感」へと自分を持っていく、キードライバーになるかもしれないことなので、ちゃんと書いてみよう。

 

 

茶にしても、禅、庭園、寺社仏閣、伝統芸能にいたるまで、自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が、日本人の核となって、世界に例を見ない芸術を形作っている。「悠久の自然と儚い人生」という対比の中に美を感じる、という類まれない能力が日本人にはあります。 無常観というのはもともと、インドのお釈迦様が言ったこと。お釈迦様の言う無常は哲学です。何もかも永遠に同じ形を保つことがはできないという哲学です。 北インドから中国を通って日本に来た無常観が変質を遂げました。日本人の無常観は、「すべては変わりゆく」というドライな達観から派生して、弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した。ドライな達観が、儚く悲しい宿命を共有する人間同士の連帯、そして不運な者への共感へと変質していったのだろう。

 

この無常観はさらに抽象化されて、「もののあわれ」という情緒になりました。日本の中世文学の多くが、これに貫かれています。すなわち人間の儚さや、悠久の自然の中でうつろいゆくものに美を発見してしまう感性です。

 「もののあわれ」のほかにも、日本人は自然に対する畏怖心とか、跪く心を元来持っている。

 

さて、前置きはいいとして、

 

日本の伝統芸能についてです。特に『能』について、紹介したい。

 

場を三味線、台詞を太夫、人間以上に人の感情を具現化する人形の融合が、『文楽』

 

武士の嗜みであった「能・狂言」の支配階級の独占から、庶民のための独自の芸能が開花する。真剣な【日本文化ごっこ】。現在となっては、日本文化の魅力が詰まった伝統文化の華が、『歌舞伎』

 

中国から奈良時代に伝わった『散楽』

 

これが、一方が歌と舞の芸術・能へ。

一方が風刺と笑いの芸・狂言へ。

 

愛すべき人間が主役、滑稽なことを笑いで肯定する人間賛歌の芸能が、『狂言』

 

世阿弥が論じた「序破急」、速さの緩急や精神的な高揚、一曲の構成上の盛り上がり、五番立の構成。長時間にも及ぶ、重々しい緊張感に満ちた質感で、観るものを幽玄の世界へ誘う。三間四方に広がる「謡(うたい)」と、「仕舞(しまい)」で、スピリチュアルを表現する奥深き美意識の世界が、『能』

 

 

『能』を難解として敬遠する人たちが多くいる。

が、実は「難解」とは縁遠いもの。もちろん、だからといって「単純」でもない。

 

心を遊び、感じるものであるため、難しい。はない。

表現している方向感を理解して、あとは思考をやめて観るだけです。

 

あの世とこの世をつなぐ橋掛り、神聖をかんじさせる鏡板の老松。緞帳もなく、舞台と客席を仕切るものも殆どなく、音響装置や舞台装置もなく、照明の変化もない。

 

小宇宙を思わせる舞台空間で、観客と舞台が一体となる世界を体験する、変性意識状態に全てを引きずり込む芸術です。

 

能は、演者の動き、謡のことばと節。音のリズムによって、その想像の世界を彩色する。その世界は、五感でとらえ、見た人間が想像力でつくりだすもの。

 

観た人間の数だけ能がある正解などないし、誰もそれを求めていない。

能舞台にはセットも背景もない。限られた空間、約束事の中で能楽師がやっていることは、観客の想像力を引き出すことに終始しているともいえる。

 

ただし、能の醍醐味のひとつはその様式美。「情緒」と「形」を重んじる日本の感性です。役者や囃子(はやし)など出演者たちの役割や舞台上の場所についても定められた様式が守られている。鑑賞する前に、舞台上の決まり事を知っておくことをお勧めします。

 

御託を並べる前に謡え、動け、そして聞け。という世界。

能は感じるままに観るもの。

 

野外音楽フェスも、フルオーケストラも凄いんだが、

美意識と幽玄の世界観、これらを観客と舞台が一体となる空間を体験しなくて

あなたは本当にいいですか。