心に巻き起こる「考え」をなくしていくこと
私の立ち位置は、 少林寺拳法の周辺領域として、沾粘勁(てんねんけい)や、養生功などの気功と臨済宗的禅をベースとしたアプローチだが、起源が5000年以上前に存在するインド哲学(ヴェーダ)にあるということでは、ヨーガも同じ。
ヨーガってなんなのかと考えると、
「ヨーガとは心に巻き起こる「考え」をなくしていくこと」かもしれません。
心に起こる「考えを」なくすにしても、
「心に鈴をつける」ということでも、
自分が今何をしているのかに意識を向けて、気づくメソッド。
自分自身に気づけばそれに対して対処の方法がみつかります。
今、目の前でご自分自身がやっていることを『意識化』させ、感じ、気づかせる。
しかし、形がない心に気づくのは難しいので、ヨーガのポーズや呼吸法を使って、カラダを通して感じることにより、気づくチカラを高めていくのがヨーガ。
もちろん、それ以上の価値や効果があります。
ヨーガは、サンスクリット語では他にモークシャ、サマーディとも言います。
宇宙意識や純粋意識又は神性と呼ばれる存在との自己との合一。
(これは、アーサナ(ポーズ)を中心にしたハタヨーガの領域ではなく、クンダリニーからラージャーヨーガの領域ですが。)
この体験は静かで穏やかで慈愛に満ちて愛そのもの。とありますが、言葉では表現できないくらいの至福の体験。
これには、『無為自然に生きる』ということが結論。
本当の自分とは何者で、その自分を知るとはどういうことなか。
名前、肩書、職業、家族構成、性格、身体、価値観等、たくさんの答えが出てきそうですが、どれも何かにつけられたレッテル(言葉)にすぎません。 それらの言葉で示される自分をすべて取り去った時、残るものとは何でしょうか。 それこそが、言葉では表せないけれど「本当の自分」
この状態をBeing(ただ在る状態=無為自然)といいます。
このBeingを取り戻しに行くプロセスを、修練の方向性を提示できるものが必要。
プロセスが「本当の自分=真我」を知ることにも繋がってくるのがインド哲学であり、禅であり、真言密教であり、気功技術。
手放す(つける発想から、とる発想へ)、繋がる、緩める
考え方としては、私たちは本当は完璧な存在である。ということ。
だからこそ、人生で失うもの、欠けているものは実はありません。
素粒子の次元では、この世のすべてのものは一つのエネルギー領域の中でつながっています。目に見えないですが、そのことは量子物理学がとっくに証明していることです。しかし、実際には多くの人々がこのことを知りません。実感できません。
自分ではない、自分という自我だと信じている自己と他を分けるものや、
感情(心)=自分という不必要なものをたくさん身に着けているということ。
そして、私と全体を分かつものがなくなり、私=全体であることがわかれば、自身の価値観による重要度によって、他者への愛情を変えたりせず、愛は対象を選ばない、愛そのものになり、その愛そのものが全てに繋がるということ
心身の解放(脱力、リラックス)をベースにした修練(トレーニング)で、心身一如(心と身体はつながっている)という観点から、身体を通して心身の在り方を見出していく。
何かを身につけるのではなく、自然との調和を妨げているものに気づき、それを取り去ることで、私たちはもともと自然の一部として存在し、自然と調和していたことを思い出させるという発想のもとに修練をする。
【身体】は、日常の生活習慣によってこわばった身体の緊張を取り去り、柳のようにしなやかで安定した脱力身体を目指す。
【心】は、過去の記憶から生じる思い考えを手放し、無意識の守りに気づき、解放します。今を感じることで、風のようにとらわれのない自由な心を取り戻します。
ヨーガにおいて、身体はすべてを知る小宇宙であり、
身体を観察し感じてみると、何らかのサインを送ってくれていることに気がつきます。何が身体にとって、最も合理的で機能的なのかは身体がすべて知っているのです。
「何を食べたいのか」「どう動きたいのか」「どのように力を使いたいのか」そのような身体の欲求を知ることは「今、何を選択したらいいのか」という人生のあらゆる問いに対しても、自然で無理のない答えがわかるきっかけにもなります。
哲学を理解し、呼吸やそのタイミング及び、イメージ、アーサナ(ポーズ)それらの完成度を強め、チャクラ開発をしていくことは、
気功技術のひとつの、内功と全く同じ。
内向は、内的知覚力を養成するための感覚修練です。
身体の感覚を研ぎ澄ませて、自己の内的世界へと知覚を拡げていこうとするものです。
特に以下の3つの感覚を養うことになります。
・重力感覚(grounding)
「重力感覚」は、自然の法則の中で最も強力で、地球上で生きているすべてのものに影響を与えている下向きのベクトル感覚です。あまりにも当たり前に働いているために知覚できていないのが現状です。この「重力」を知覚し調和することで、グラウンディング(地に足をつける感覚)を可能にし、不動心、不動体を養います。
・流体感覚(flowing)
人体は、約70%が水分です。水の詰まった皮袋の中に、骨が浮いている状態をイメージするとわかりやすいと思います。人体は、見た目には「固体」ですが、性質は「流体」なのです。流体を意識し動くことで、柔軟で、しなやかな動きが可能となり、ケガを防ぎ、心身のゆがみも整っていきます。
・中心感覚(centering)
地球上に重力が働いていることで、すべてのものに中心(重心)が存在しています。それは人体も同様です。立つ、歩く、座るなどの日常動作、姿勢においてどこが中心(重心)なのか知覚することでセンタリング(心身の中心に軸を持つこと)が可能となり、ぶれない安定した意識状態を保てるようになります。
ヨーガであれ、気功であれ、太極拳であれ、禅であれ、
究極的な目標は、「自然の法則との調和」にあります。
より自然で安定した身体(養体)と心(養心)をつくるプロセスを通して、人間が本来持っている様々な能力を引き出していきます。
特に私が大事にしているのは、とにかく、リラックス、「脱力」。
「抜く」こと。
姿勢の基本として「重心を定める修練」をして、
身体中心の確保、動作の基本として、軸で動く合理的身体運動、
伸筋運動と呼吸法、エネルギーの活用による意識の伝達を可能にすること
イメージ、内的知覚力、勁力(重力に適応した力)による気功の練功
心と身体の力み(緊張)を取り去る。
場所や時間を問わず、自分で行える心身調整法の妙味を体感し、呼吸をコントロールすることから生じる心身の変化を実感し、ココロとカラダの「解放」を目指すこと。
いま、に集中すること。
そうすれば、心に巻き起こる「考え」はなくしていけます。
このプロセスを経験している方は、
『手放す、緩める、繋がる。』を、
身体や感情だけでなく、弁証法的にあらゆる領域に当ててみるといいです。
たとえば、他者と対話をすること、すなわちコミュニケーションを図ろうとすることを一度手放してみる時間と捉えて場を生きる。
そのかわり、他者の言葉が自分の中にどう響くかに焦点を当て、それが結晶のようになると質の高いエネルギーと共に言葉として発する。
もちろん、流れの中では相手に配慮したり、相手にとって必要な情報も含ませて言葉を発する。
これができると、「伝わるべきこと」が、100%確実に「伝わる」。
それ以上に大事なコトは、
その言葉の芯にあるものが、他者の言葉の響きを受け取った自分が現在において、最も必要としているもの「そのもの」だということに気づきはじめる。
まずは、身体を緩めることから。