Chaos Smart

「私は、私が無知であることを知っている」 複雑性、物事の根本に関わる深い叡智をえるブログ

教育の未来はどうすれば良いのかというコト

Chaos smartなEducation & Training:

教育は、少しの教養と、学び方を学ぶための「何もない」が正解。
Learning how to learn. and The Basics of Science, the Bacics of Art.
 

ビジネスにおいて、クライアントがいて、解決すべき課題があって、そこにチームを組んで、 コアアイディアとデジタル・ITソリューション、あるいは、芸術的ソリューション をブレインストーミングで考えだし、具体的な開発にいくかもしれない。 または、開発が途中でとん挫して、企画会議、あるいは問題設定自体に戻らなければ いけないこともあるかもしれない。つまり、テストや教科書といった画一的な カリキュラムは、クリエイティブの現場や高度なビジネスの問題を解決する現場の ダイナミクスにあてはまらない。
 

だったら、
学生は、物事の進め方、考え方、学び方こそ、自らで学び、自由に世界を 縦横無尽に動ける力を身に着けられなければならない。その中で独自性を獲得して いく必要がある。
 

だったら、

『教室も教科書も専任講師も決まったカリキュラムもいらない。』

もちろん、テストで個々の能力を計らない。 先生と生徒の関係はいらない。 学習コーディネーターと学習者だけでいい。

最新の情報や知識が掲載されているのはネット上でいいので、教科書不要。
専門知識が3-4年で風化するのだから、専任講師よりも、その時代の 第一線で活躍する人材をスピーカーや講師に適宜選定する。
テストで測定するより、ビジネス界の人間からのフィードバックを 得る方が価値がある。 教室という概念はなく、オフィスのような広いスペースを空間にもつだけ。
 
ビジネスの場で行われているクリエイティブワークやプロジェクトは、 チームワークを基に行われるものだし、実践環境に近い場づくりを 基本とするならば、閉じた空間である教室という概念を捨て、徹底的に オープンな場を、空間的、人間関係的に構築すること。 学生は他の学生と協力し合うだけでなく、スタッフとも密に関係を構築することを重視する。 スタッフもスタッフルームがなく、学生と同じ場で作業をする。
プロフェッショナルの前段階の人材だけで、実存する企業からの問題を解決する。 本当のクライアントの仕事をやってしまうことでしか、学び方なんて学べない。
 
講師として、プロジェクトではない形式で教えた方が良いことがあるとしたら、 科学の基礎と芸術の基礎。バーチャル体験では無意味だったり、それを凌駕するほどの豊かな原体験。この領域以外は、ナレッジシェア&ハーベスト、ロールプレイングや内省&発表の場、生きた物語の共有、本気の本音語り合いのダイアローグ。
そういうことで十分です。

才能を見つけ、好奇心を最大化させ、新たな疑問を生み、聞き話し、教え育む。の繰り返し。これらの状態の下でのみ、新しいパターンが自然発生することが可能だと考えます。

成長は、不確実な中で安定する精神性の直接的な反映であり、 見えないものが見えてくることが精神の成熟であるはずです。

「守る必要の無いくらい強い者へとこどもに成長してもらう。それが本当の守る者。」
 
これがスタンス。
 
私には、何があっても人間は育っていく、成長していく、また成長していけるんだという想いが根本にある。それを操作主義的に、こうしてやればあんな風に育つ、
あんな風にすればこうなる、などあまり考えすぎることが、逆に弊害になってくる段階もある。だから、教育の現場といっても、知識・技術伝承のみで、人間教育がないなんてありえない。人間性を育むのが教育。
育む人が消えてなくなっても問題ないところまで持っていくのが教育。
 
答えのないビジネスの中で、挑戦して高い成果を上げ続ける人材になる前提を開発する。
 
教育者なんかができることは、他者の自己開発支援しかない。
成果を出すには、学習者が頑張るしかない。
 
未来への自尊心を育む、自分の頭で考える、正しいコミュニケーションをとる、仲間と協業する。「読む、書く、話す、聴く、考える、学ぶ」こんな当たり前のこと。これを高い次元で開発すること、自己基盤を強くしてあげること。

教材も教師も教室も必要ない。その「場」に位相差が生まれるものは必要ない。